アバターとしての自分にさようなら。〜本当の自分に向き合えた、僕の第2の誕生日の話。


ちょうど1年前の今日、勇気をもって、ある試みをした。人前で、これまでの人生、嬉しい過去も、痛い過去もすべて包み隠さずカミングアウトするという機会。妻も両親も兄弟も呼び、いままでお世話になってきた人たちを呼び、学生時代の友人も呼び、誰にも話したくなくてひた隠しにしてきた過去をさらけ出すというのは、本当に怖い行為だった。築き上げてきたものが全て壊れてしまうんじゃないか。みんな自分から離れてしまうのではないか。仕事もなくなってしまうんじゃないか。でも、いま振り返ってみて、はっきりと実感している。あの時があって、今の自分があると。アバターとしての自分ではなく、本当の自分だけで生きられるようになった1年前の今日。12月5日は僕にとって第2の誕生日だ。


そのイベントの名はソウルストーリー。臨む前の僕の様子と、終わって10日経ってやっと言葉にできた感想が当時のブログに書いてある。

今日はこれから、ソウルストーリー出演。(2010.12.5)

自分をさらけ出してみて感じたこと。〜ソウルストーリーを終えて(2010.12.15)


自分で言うのもなんだけど、それまで、優等生で生きてきて、どんなコミュニティの中でもそつなくこなしてきた自分。でも正直言って、人の顔ばっかり気にして生きてきた。自分がないんじゃないかと思った時もあった。良く言えば、人に喜ばれることが自分の喜び。でもいつしか、喜んでもらえないなら、自分は存在しちゃいけないんだと、自分を追い込むようになった。


でも、そんな自分と向き合えたのが1年前の今日。そのまんまのあるがままの自分で良いんだと心から思えたのが1年前の今日だ。


それまでは、そんな自分に嫌気が指して逃げ出すことがあった。大学を中退したこと。会社を休職したこと。どちらも僕にとっては隠したい過去だったけれど、今ではそれが必要なプロセスだったと自信を持って言える。正直に言えば、この1年で出会った人がたくさんいて、そんな人たちに、こんなことを改めて言うのもどうなのかなあと思ったけれど、でも、改めて今日、そんな自分のプロセスをもう一度ここに記しておきたいと思う。この1年、「あっ、この人にはぜひ伝えたい」と思った時、僕が1年前に経験したこの体験を話すようにしてきたけれど、どうやら、本当の自分に鎧を着込ませ、アバターともいえる虚構の自分を演出しがちな人が、少なくないなあって思うから。


鎧を脱ぐことは確かに恐ろしいことで、社会で生きていくのに、本当の自分とアバターの自分を使い分けることは、ある意味、仕方のないことなのかもしれない。でも、もし、いまこれを読んでいるあなたが、何か厚いあつい鎧を着込んで自分を守っているとしたら、アバターとしての自分で本当の自分を失いそうになっているのだとしたら、僕はそれを脱ぐことを勧めたい。時間はかかると思うし、恐れも傷みも伴うと思う。でも、恐れを感じるとすれば、そのプロセスはきっとあなたに必要に違いない。


「つなぐ」ことを人生の使命とし、「つなぐ」ことを職務としている僕だけれど、実は、「つなぐ」という意味には2つの意味がある。1つは人と人を「つなぐ」という意味。そして、もう一つは、自分を本当の自分に「つなぐ」という意味だ。自分に深く向き合えた人が、深く人とつながれる。自分に深く向き合えた企業が、顧客と深く向き合える。そう信じて疑わない。おかげで僕は、ちょっとやそっとではぶれなくなった。


今年はじめた震災プロジェクト「HOPE100」も、新しく仲間と始めた会社「イナズマ」も、きっとこのプロセスがなかったら生まれていなかったと思う。自分らしい人生を送れるということ。こんなに幸せなことはないと思う。


1年前にも増して、益々ソーシャル化が進む今、人は、誰とでも簡単につながれるようになった。地球の裏側の人ともつながれるようになったことはとってもステキなことだけれど、そろそろ「広く」ではなく「深く」つながる時期が来ていると僕は思う。


深く自分の奥底=源に向かう作業は決して楽な作業ではないかもしれない。もし、それが楽な作業だったら、何かそこに無意識に蓋をしていることを疑ってかからなければいけないかもしれない。(僕がそうだった。)そんな時、見守り、支えてくれる存在、じっと、向き合うのを待ってくれる存在はとっても重要。僕はそれを惜しみなくしてくれる仲間に恵まれた。今、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。


本当の自分に目覚め、本当の自分同士で人がつながる。僕が願うのはそんな世界。だから、声を大にして言いたいんです。自分と本気で向き合う大切さを。自分の良いところも悪いところも、それを受け入れる大切さを。


もし、そこに僕が必要であれば、言って下さい。僕は駆けつけます。